原発が推進されてきた最大の理由
なぜ、原発はこれほどまでに推進されてきたのだろうか。
その理由としては、推進側からも反対側からも色々あげられている。
推進側:
- 資源の無い日本で化石燃料に頼るのは危険、再処理・増殖炉なども実現すれば無尽蔵に近いエネルギーを確保できる
- CO2を出さないクリーンエネルギーである
- しかも低コストで大電力を確保できる
反対側:
- 法律により、電力会社は設備投資額の一定割合のみの利益が認められており、高額な設備投資が伴う原発は、たとえそのものが不経済でも利益上乗せに好都合
- 危険性や使用済み燃料処分のコストなどに目をつぶればとりあえずは儲かる
- 実は核武装の目論見の下準備である
ざっと主なものはこんなところだろうか。
しかし、根本的な理由は、
「原発が危険だから」
ではないかと思うのだ。一見逆説的なようだが、どうしてなのか説明してみる。
- 原発は危険である。どう考えたって根本的に安全なんかじゃない。
- となると、当然様々なな対策が必要になる
危険であることによってどんなことが起こるか考えてみると…
- a
- 立地に絡んで、地元にお金を配らなければ誰も受け入れるはずがない。お金を配るということは、まさに利権が発生する。
- b
- 危険なものだから、かなりのお金をかけて作ることになる(高すぎとばれない範囲で)。当然受注先もうるおい、政治家にも還元がある。おまけに電力会社も利益をその分乗せられる。
- c
- 危険なものを扱うからには、厳密に規制・管理しなくてはならない。となれば、お役人が必要だ。そして、天下りがものを言う。
ほら、危険なおかけで、電力会社も、受注業者も、官僚も、政治家も、自治体もボロ儲けできてしまう。
これが本当に安全なものだったらどうだろうか?
bは安全でも高い設備が必要なケースが考えられるが、少なくともaやcは安全なら決して発生しないうま味なのである。本当に安全なものに、「安全委員会」とか、「安全・保安院」なんて必要なわけないのは、誰だってわかること。
ちょっと似ているのは、禁酒法でマフィアがウハウハという歴史の教訓。
元々感じてたことだが、強く意識したきっかけは昨日読んだ記事。
葉上太郎「原発頼みは一炊の夢か──福島県双葉町が陥った財政難」
これと、もうひとつ、青森の六ヶ所の再処理に絡む自治体の話(記事はどこだったか分からなくなってしまったが)。
もういろんなところで指摘されてることじゃないかとも思うが、念のため書いてみた。