国会で不信任案否決、その直後に場外乱闘で辞任に追い込むという怪事件

なんとか酵素とかいう詐欺商品を地方紙の広告で見て、それについて書こうかとも思ったが、そんなのよりよっぽど重大な眉唾ごとがまかり通りつつある状況について書くことにした。前回からの続き的内容。

国会で菅内閣の不信任案は、大差をもって否決された。
その直前の菅の演説は「一定のめどがついた段階」での辞任を言っていた。否決後に、事実上は暫くの続投を意味すると発言すると、なぜだか詐欺呼ばわりする人々が現れ、マスコミもその論調で染まった。国民を欺いたとまで言う産経新聞なども。

が、今が政争をしている場合ではなく、一丸となって復興と原発事故対策に当たるべきときだと私は思うし、そのような見解は世論調査などからみても国民の多くが共有していたのではないかと思う。その前提に立てば、「めどがついた段階」がそれなりの長時間を意味するものとして受け止め、受け入れたとしても何も不思議はない。現に、その後の世論調査でも、ある程度長期をあたえるべきという意見がかなりの割合を占めている。

鳩山との間の会談においてどんなことが仄めかされたのか、鳩山がどう受け取ったのかということはこのさい問題ではない。公の場で「一定のめどがついた段階」という条件を述べ、それが「比較的長期に及ぶ」という理解がなされ得たということが、不信任案の採決にあたる正当な前提条件だったはずだ。

国会における議決と言うのは、重いものではないのか?
それが、翌日には「実質的にはすぐやめるべき」「そんな長期とは思っていなかった、ペテン師だ」と言いだす輩が続出し、そしてそれがまるで正論であるかのようにマスコミを覆い尽くすのは、本当に民主主義国家としてあるべき姿なのだろうか?

テレビでは、評論家も政治家も、「菅では官僚がついてこない」とか、「菅では与野党間に信頼が築けない」などと声をそろえる。では、少なくとも与党民主党の政治家で、倒閣を声高に叫んできた人たちは、政策実現や災害対策への内閣の取り組みを支えるべく、官僚に言うことを聞かせるべく取り組みをしてきたのだろうか?
また、自民党議員や官僚についても、菅が嫌な奴であるらしいのは周知の事実だが、仲良しクラブなわけじゃないのだから、それを理由にあんな奴には力を貸せないとかいうレベルの話には全く理が無い。
いくら菅が信用ならないとして、菅より明らかに優れたプランを提示し、公の場でそれを認めさせればよいのである。そのうえでそれでも菅が信頼を損ねた行動をとるなら、それこそ不信任の明確な義となるであろう。
ところが、実際に見えてきたのは、あることないこと吹聴して内閣の足を引っ張るような企みばかりだったのではないか。

政府の取り組みに問題がたくさんあったことは、総理自身を含め誰もが認めることだろう。が、この未曽有の危機にあたって、それ以上の成果を誰ならどのように達成できたか、そしてこれからどう出来るかを語る姿は見えてこない。

原発問題に関して言えば、谷垣だったら、小沢だったらもっとマシな対応だったと期待できるのだろうか?
浜岡原発は止められていただろうか?迅速で大規模な避難が行われていただろうか?迅速で正確な情報公開は行われていただろうか?

震災・津波の対応も、合格点とは言えないだろう。が、災害への対応は、何よりも地元の自治体が中心となって進むもので、自治体自体の被害が限定的かつエリアが限定的だった阪神淡路大震災などと、役場を含めた自治体自体が人的にも物的にも大きな被害をこうむり、エリアも広大で、原発事故まで併発している今回とではまるきり事情が異なる。

何が言いたいかと言うと、菅降ろしをする前に、自民も民主もマスコミも、具体的なビジョンを示すことが無いということの異常さである。
そして、国会の場での議決より、非公開の場での口約束や、勝手な辞めろコールが優先されて、なし崩し的に倒閣が行われる異常さである。